オタクが2.5次元通いをやめようと思った話

私の2.5次元は、某擬人化ゲームの舞台作品から始まった。

それまで舞台にはなんら興味のなかった私がその公演に足を運んだのはたまたま推しキャラが出演していたから。それもビジュアルがまんま私のイメージ通り。

なんかよくわかんないけど動いている推しが拝めるらしい。それもこのビジュアルそのままの。じゃあ行ってみようかな。そんな軽い気持ちだった。


行ってみて、びっくりした。

推しが動いているどころの話ではなかった。

推しが、喜び、悲しみ、笑い、怒り、心を動かされる様をありありとみせつけられた。

動いている、じゃない。ここにいる。思考と感情を持ってここにいる。ひとりのにんげんとして生きている。

こんな素敵なことがあっていいのだろうかって思ってしまったくらい。それくらい衝撃的だった。


以来私は、2.5次元作品を観に劇場へ通うようになった。

好きな役者さんも出来たし、この脚本家さんの作品が好きだなと感じることもあった。役者さんや脚本家さんを追って、原作を知らない2.5の舞台や、完全オリジナルの作品も観に行くようになった。

私は舞台沼の住人になったのだ。


舞台作品を観に行くことは、本当に楽しい。

役者が本気で役と向き合い演じる様が好きだ。そのひとならどう考えるか、どう感じるか、どういう行動に出て何をどのように表現するのか、悩み抜いて出た答えを舞台上で観ることが好きだ。

2.5だと既存のキャラクターを演じることになるので、それはもちろん自分の中の解釈と役者の演技が合致しないこともあった。

けれども不思議と嫌だとは思わなかった。彼らがキャラクターと向き合って、精一杯の演技をしてくれた結果だったから。


けれどそうではなかった公演があった。私が好きなアイドルゲームの舞台作品で、シリーズものの最新作。ストーリーに一区切りがついたので、今回はライブ公演という形だった。そして、一部キャストが一連の作品を卒業する(ライブ公演後の舞台には出演しなくなる)ことも発表されていた。

卒業するキャストは6名。そのうち3名が、作品内で同じアイドルグループに所属している設定だ。そのアイドルグループは4人のグループで、卒業しないひとりのキャストは今回から加わった新しい男の子だった。

正直に言おう。私は彼の演技を楽しめなかった。台詞は棒読みだと思ったし、感情が乗っていないように感じた。歌と踊りはきっと頑張って練習してきてくれたのだろう、色眼鏡がかかった状態の私には遜色があるようにみえてしまったけれど、まぁなんとかなっているなと思った。けれど曲間の演技が本当に無理だった。観ていられなかった。卒業するキャストが可哀想とさえ思った。

それで私はもやもやした気持ちのまま帰路に着いたのだ。楽しかったけど残念だったとそう思いながら。そうしてぐるぐるぐるぐるそのことばかり考えて、はやくも1ヶ月がたとうとしている。その間には出演キャストの生の声が聞ける場が沢山あって、いろんな情報が私のもとにも入ってきた。


そして私は、演技がズタボロだったと感じたキャストの男の子が必死に練習をしていたという話を聞いた。

朝一番に来て夜遅くに帰る、色々な先輩に教えを請う、そんな姿を先輩キャストがみていたのだという。彼は稽古にとても一生懸命だった、と。

わたしの頭に浮かんだのは疑問符だった。だって、その話が本当ならもっとまともな演技がみられたはずじゃないか。時間をかけて練習したんでしょう?

そうしてやっぱりぐるぐる考える。公演直後より冷静な思考が働いた私は、はたと気付いた。もしかして彼には演技に割く時間なんてなかったのではないか。


役者や演出家を追っていると、なんとなくの舞台のスケジュールがつかめるようになる。とは言っても、稽古期間今回短いなとか、そういうのが体感でわかるようになるくらいだけれど。

その体感と比べて、今回の公演の稽古はとても短かった。それもそのはず、キャストがほぼ全員続投のライブ公演、みんな歌も踊りも既に知っているのだからそこまで長くとる必要なんてない。

新キャストの彼は、その環境のなか稽古に臨んだのだ。目にする曲は全て初見、ダンスも初めて。その上自分のグループには卒業キャストが所属している、だから舞台上に出ている時間が他のグループよりも長くなる。そうすると、曲とダンスを覚えるのに手一杯だったんじゃないか。


だからといってあの演技を舞台上で披露してないけないことには変わりはない。あれでいい仕方ないなんて、わたしは思わないし思えない。彼の演技はひどかった。その事実は変わらない。私にとっては。

でもそれはきっと彼の責任ではない。もちろん演者として彼に責任が一切ないかというとそういう話ではないけれど。でも彼よりももっと責任がある人間がいるだろう。

例えば、キャスティングをしたひと、とか。稽古期間が短いことはキャスティングの段階で読めていただろうし、卒業キャストの話もすでに出ていた。であれば、演技経験者をキャスティングする必要があったのではないかと思うのだ。短い稽古期間であってもある程度の演技ができる人間が演じていたならもっと違っていたのではと思う。

でもきっとできなかったのだ。金銭面の都合でキャストの卒業が決まったと運営元から発言があったくらいだ、名前の知れている役者を引っ張ってくることなんて出来なかっただろう。役者経験のない若い男の子を連れてきて、歌と踊りを教えて、あの大きな舞台上に立たせることしか出来なかった。たとえ曲間のMCの演技ができなくともそうするしかなかった。利益をあげるためには。


上に書いたのは、今回の公演で一番印象的だったこと。それ以外にも運営周りで思ったことが沢山あった。出演キャストの気持ちに寄り添えているのかな?と疑問に思った場面も多々あった。


私は舞台が好きだ。生身の肉体で表現される感情が好きだ。それを生み出してくれるのは出演してくれているキャストで、支えてくれているのは演出家はじめ運営方の人間だと思っている。

私の中で舞台作品は表現作品なのだ。オリジナルの舞台も2.5もぜんぶ表現作品。ストレートプレイもミュージカルも、ぜんぶ。

今回の舞台は表現作品だったのかな。みんなが十全に表現できたのかな。そのための準備が整えられていたのかな。運営方は、表現者が思いきり表現する土台をつくってくれていたのかな。その努力をしてくれていたのかな。

今回の運営元が、2.5次元舞台の運営企業最大手の一角だということを私は知っている。だからこそとても残念だなと思った。悲しい気持ちで劇場に足を運ぶのはもうごめんだ。だから私は今度2.5次元の作品を極力観劇しないようにすると思う。

好きな俳優と好きな演出家がいるから、完全にあがるなんて無理だけど。こんなことで通うのをやめるなんて馬鹿げているって自分でも思うけれど。

でも、舞台そのものを嫌いになってしまうよりはよっぽどいいと思うのだ。2.5次元を舞台作品ではなくオタクから金を稼ぐためのコンテンツだと割り切って観られない私には、それが一番いい。